波多野澄子バレエ研究所は1957年に発足し、半世紀以上にわたり活動を続けてまいりました。生徒たちの日々の練習の成果を披露する場として、1959年より毎年一回発表会を開催しております。そして、2000年には波多野澄子バレエ団を結成し、2年に一度公演をおこなうようになりました。
当バレエ研究所が主催する公演以外にも、研究生やバレエ団メンバーが数多くのステージに出演しています。
現在、本部教室を兵庫県芦屋市に置き、兵庫県及び大阪府に数多くの支部教室があります。
特に本部教室は、クラッシックバレエに最適な恵まれた環境で練習でき、公演のリハーサルもおこなわれています。ベビーから成人女性までさまざまなクラスがありますので、ぜひ一度お問い合せください。
1957年4月
大阪YWCAにて、梅田バレエ研究所として発足。
1959年1月
波多野澄子バレエ研究所と改める。
1957年3月
第1回生徒公演(発表会)を開催。以後、現在まで毎年1回開催。
1957年12月
第14回洋舞合同祭(朝日新聞厚生文化事業団主催)に参加。以後、現在まで毎年参加。
1979年12月
芦屋本部教室開設。
他泉北、三国ヶ丘、深坂、名谷、西宮名塩、宝塚、尼崎、甲南山手、甲子園、塚口に支部教室開設。
私が大阪YMCAで「こどもバレエ教室」のクラスを持たせていただいたのは、
今から52年前の10月でした。初めは手探りでしたが、だんだんバレエの魅力にとりつかれ、指導、そして舞台創りにとのめりこんでいきました。若輩でなんの力もありませんでしたが、情熱だけは誰にも負けないものがあったように思います。
独立後には毎回の舞台にドラマがありました。第1回の発表会を三越劇場で開催したときは、音源にSPレコードも使用したような気がします。衣装の準備、テープの編集、当日は舞台監督、(メイクだけはお手伝いの方がいましたが)ほとんどすべてのことを一人でこなしました。若かったんだなぁ…と思い返しています。
レッスンにしましても大きなオープンリールのテープレコーダーを持ち歩いて、本当に大変でした。今の手のひらに収まるようなコンパクトなハイテク機材を見るに付け月日の流れを感じます。私個人の人間的には何の進歩もありませんが、舞台だけは回を重ねる毎に成長をしてくれていると自負しています。でも一つだけ間違いなく言えることは、私の回りにはいつの時代にも温かい人が集まってきてくださったことです。今52年を振り返り本当に私は幸せ者だと感謝しています。
私の個人的賞賛などなくていい、今の穏やかですばらしい環境が続いてくれたらと願う毎日です。
14歳より越智バレエ団にてバレエを学ぶ。後年、ジャン・クロード・ルイズ、ジョン・クランコ、ノラ・キッス、ユールゲン・シュナイダー、の各氏に師事。
1965年 ヴァルナ国際コンクール第4位銅賞受賞。
1969年 モスクワ国際バレエコンクール第2位入賞。あわせて日本人として初めてニジンスキー賞をセルジュ・リファールより受賞。
1970年 東ベルリンのコミッシュ・オペラのソリストとなる。ヴァルナ国際バレエコンクール第2位(第1位なし)ロンドンガラ公演に参加。
同年シュトゥットガルト・バレエ団に入団。ジョン・クランコのもとで踊る。ミュンヘン国立オペラ・バレエ劇場のエトワールとして契約。
以後同バレエ劇場の多くの舞台に出演。ノエラ・ポントア、レスリー・コリア、フローレンス・クレール、マリアナ・チャルカスキーと踊る。
1998年 ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員を務める。12月「ホフマン物語」で愛知県芸術文化選奨受賞。主な振付作品「顔のない女」「ディ・テンツァリン」「ホフマン物語」「追憶」「真夏の夜の夢」など多数。毎年、三作品の新作を創り、振付者およびダンサーとして精力的に活躍し続ける。
2008年
名古屋市芸術賞、芸術特賞。橘秋子賞特別賞受賞。
2010年6月
ジャクソン国際バレエコンクール審査員
2010年7月
ヴァルナ国際バレエコンクール審査員
2014年6月
ジャクソン国際バレエコンクール審査員
他、全国各地のバレエコンクールで審査員歴多数。